近眼で文字の大きい漢籍でも眼鏡にくつつけるやうにして読んだ。授業中によく生徒が後の方の窓から抜出した。誰かゞ話しでもして居ると教壇から下りて来て、いきなり嫌疑者をつかまへて叱責した、はたから人違ひを弁明しても「インニヤ、ふだんが悪い」と云つて聞かれなかつた。作文の時間にはよく黒板一杯に南画の風景を描いて「サア、此れを書いて」と云つて独り悦に入るのであつた。
 国語では徒然草や大鏡をMZ先生から教はつた。此の先生の時にはよく昔話をねだつて、色々の面白い懐旧談を聞かされた。此方が正則の授業よりは遥に面白かつたのみならず、実際有益でもあつたやうに思はれる。維新前の死罪、打首、鎗試し、火あぶりの実見談などを、昔の人には珍らしい科学的な記載によつて話された時などは一人の生徒が脳貧血を起して退席した位であつた。
 新しい英語の先生と、それとは全く対蹠的な此等の先生との中間の地帯には、大学を出てから間のない若くて元気で愉快で生徒の信望を集めた先生達が光つて居た。漢文国語の先生から祖先の日本に関する知識と親しみを植付けられる一方で、此等の若い先生達から新しい日本への憧憬と希望を吹込まれて居た生徒の眼前に突然此の新しい英語教師の蓑田先生が現はれて、批評の焦点を狂はせてしまつたのであつた。
 蓑田先生は主に作文や会話やの実用英語を受持つて居たが、其の教授法も生徒等には新しかつた。最も力を注いだのはパラフレーズの猛練習であつて、一つの章句をありとあらゆる仕方に書きかへさせるので、語彙の総ざらへをすると同時に、シンタキスの可能性を払底させるといふ徹底的なやり方であつた。それが火の出るやうな性急で鞭撻されるので、大抵の生徒は悲鳴をあげた。併し此のおかげで生徒の実力は急加速度で進んだといふことは後日になつて思合はされた。時にはエロキューションのやうな稽古もやつた。「ピーター・プラングル、ザ、プリックリー、プラングリー、ビーア、ピッカー……」といふ種類のを早口で云はせたりした。「英語でも日本語でも口調は同じぢや」と云つてテキストと其の訳とを同じアクセントで読んで聞かせたりしたが、其の「先生の日本語」は成程英語と同じ調子であるが、それは「生徒等の日本語」とは余程毛色の変つたものであることだけはたしかであつた。
 教授の合間に時々雑談をして聞かせることもあつたが、さういふ時に生徒等は先生のよく口にす
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