学生監の医者だそうな。)脈を取ったり血を検査したりしたが、別に何も云わないから、自分で胃潰瘍《いかいよう》だという事を話して吐血前の容体を云おうとしたが声を出す力がなくて、その上に口が粘ってハッキリ云う事が出来なかった。木下君も来た、金子さんや真鍋さんも来てくれた。杉浦さんが学校の毛布を持って来てくれてその上へねかされた。そのうちに志《し》んがやって来た。志んの顔には驚きと落着きとが一緒になっているように見えた。この教室の壁の中に妻の姿を見出した感じはよほど妙なものであった。二十年来切り離されていた教室と家庭という二つの別な世界が急に入り交じったような気がした。妻が枕元へ寄って来た時にはなんだかはりつめていた心が弱くなるような気がして涙が出そうになった。同時に自分は「そこに血がある、血がある」といって新聞紙で蔽った血痕を指して云った、自分の声が恐ろしく邪慳《じゃけん》に自分の耳に響いた。真鍋さんはしきりに例の口調で指図して湯たんぽを取りよせたり氷袋をよこさせたりした、そして助手を一人よこしてつけてくれた。白い着物をつけた助手は自分の脚の方に椅子へ腰をかけて黙って脇を向いていたが断えず此
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