病院で手術した患者の血や、解剖学教室で屍体《したい》解剖をした学生の手洗水が、下水を通して不忍池《しのばずのいけ》に流れ込み、そこの蓮根《れんこん》を肥やすのだと云うゴシップは、あれは嘘らしい。
廊下の東詰の流しの上の明かり窓から病院の動物小屋が見える。白兎やモルモットらしいものが檻《おり》の中に動くのが見える。これらの動物は、神経を切られたり、動脈へゴム管を挿されたり、病菌を植付けられたり、耳にコールタールを塗って癌腫《がんしゅ》の見本を作られたりする。
谷を距《へだ》てた上野の動物園の仲間に比べるとここのは死刑囚であろう。
動物をいびり殺した学士が博士になる。
殺される動物は、ほがらかな顔をしている。
またある日。
屋上へのぼる。階上に洗濯室が二つ。鼠色の制服を着た雑使婦の婆さんが洗濯している。どこかミレーの絵の鼠色の気分である。屋上の砂利の上に関東八州の青空。風が強くて干し物がいくつか砂利の上に落ちている。清らかになまめかしい白足袋も一足落ちている。北側の胸壁にもたれて見下ろす。巡査が一人道側へ立って警戒している。何の警戒か分からぬ。しかし何かを警戒していることは分か
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