行って止った。そこの曲り角の処で荷物をほごしている。曲り角には家はないはずである。分からない。どう考えてもこの蒲団の行方は分からない。余所の蒲団の行先は分からない。
 この角の向側に牛肉屋の豊国《とよくに》がある。学生の頃の最大のラキジュリーは豊国の牛鍋《ぎゅうなべ》であった。色々の集会もここであった。天文関係の人が寄ったときにその頃発見された新星ノヴァ・ペルセイの話が出た。新星と豊国がその時から結合した。磁力測量に使う磁石棒の長さをミクロンまで精密に測ろうとして骨折った頃にもよく豊国の牛肉を食った。磁石と豊国とがその時から結合した。
 解剖学のO教授もよくここの昼食を食いに来ていた。ドイツ生れのO夫人がちゃんと時刻をたがえずやって来て一つの鍋のロースを日本の箸ではさんでいた。三十余年前にはこれが珍しかった。
 ある夜。
 岩崎の森の梢に松坂屋の照明が見える。寒い暗い都会霧の中に夢のワルハラのごとく光の宮を浮上がらせる。
 上野の動物園の森で一度に鳴き出す色々の鳥類のけたたましい声が聞こえる。
 廊下から中央階段を降りようとする途中で窓越しに東を見ると、地下鉄ビルの照明が見える。サッポ
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