彼は今はW大学の数学の先生である。三十年前にはよくTMと一緒に本郷、神田、下谷《したや》と連立《つれだ》って歩いた。壱岐殿坂《いきどのざか》教会で海老名弾正《えびなだんじょう》の説教を聞いた。池《いけ》の端《はた》のミルクホールで物質とエネルギーと神とを論じた。
TMの家の前が加賀様の盲長屋《めくらながや》である。震災に焼けなかったお蔭で、ぼろぼろにはなったが、昔の姿の名残を止めている。ここの屋根の下に賄《まかな》いの小川の食堂があって、谷中《やなか》のお寺に下宿していた学生時代に、時々昼食を食いに行った。オムレツと焼玉子の合の子のようなものが、メニューの中にあった。「味つき」と「味なし」と二通りあった。「オイ、味なし」。「味つき」。そういうどら声があちらこちらに聞こえた。今は雑使婦か何かの宿舎になっているらしい。そのボロボロの長屋に柿色や萌黄の蛇《じゃ》の目《め》の傘が出入りしている。
またある日。
蒲団を積んだ手荷車が盲長屋の裏を向うへ、ゆるやかな坂を向うへ上って行く。貸夜具屋が病院からの電話で持込むところと想定してみる。突当りを右へ廻れば病院の門である。しかし車は突当りまで
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