一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄|無垢《むく》の人間が、自分も他人も誰知らぬ間に駆足で飛んで来てそうした淵の中に一目散《いちもくさん》に飛込んでしまうこともあるようである。心の罪の重荷が足にからまって自由を束縛されている人間は却《かえ》って現実の罪の境界線が越えにくいということもあるかもしれないのである。
 今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認めて、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。もしも、いつも半分風邪を引いているのが風邪を引かぬための妙策だという変痴奇論《へんちきろん》に半面の真理が含まれているとすると、その類推からして、いつも非常時の一歩手前の心持を持続するのが本当の非常時を招致しないための護符になるという変痴奇論にもまたいくらかの真実があるかもしれないと思われる。
 このような変痴奇論を敷衍《ふえん》して行くと実に途方もない妙な議論が色々生まれて来るらしい。例えば孔子の教えた中庸ということでも解釈の
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