文の大部分の主資料となるものは人間である。すなわち個々の能知者を捕えてこれを所知者として取扱おうというのである。この点において人間以外のものを取扱う場合とは自ずから異なる取扱い方の区別が生じる。第一の方法では材料になっている人間――無論それは他人と限った事はない、自分でもいい――をその外部に現われた行為や言語のみによって叙述して、その人間の能知者たる内部に立ち入らない。そういう意味から云えば劇のごときもこの類に入れられない事もない。もう一つの方法では、材料たる人間の心理にまで立ち入って叙述するのであるが、しかしその心理の推移はどこまでも純粋な所知として読者の前に展開されるのである。第一の方法は、事件や行為の裏に進行している人間の心理的の推移を直接読者の判断に推しつけるので、この場合の科学的要素はむしろ読者の方にある。作者は読者の心理学的機関に衝動を与え、その運転を導くような資料を提供するのであって、その作の価値はその資料の選択や、それを提供する順序や仕方によって規定される。これに反して第二の方法では科学的要素は直接に作物の上に現われているから、もし作者の科学に誤謬があれば、それは直ちに
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