介な事になって来る。若干の柔道の型を覚えていても敵と組打をやるとなれば敵の方で型の通りになってくれないと一般、眼前の自然は教科書の自然のように注文通りになっていてくれぬから難儀である。
例えば早い話が教科書や試験問題には長さ一メートルの物差とか一グラムの分銅《ふんどう》とかいう言葉が心配げもなく使ってあるが、実際には決して精密に一メートルとか一グラムとかいう量に出逢う機会は皆無と云ってよい。ただ必要に応じて差しつかえのない程度まで単位の長さや重さに近いように作ったものに過ぎない。生徒に実験を授ける際に一度は必ずこういう点にも注意を喚起しなければならぬと思う。紙の尺度や竹の尺度などを比較させて見るもよかろうし、また十グラムの分銅二つと二十グラムの分銅一つとを置換して必ずしも同じでない事を示し、精密なる目的には尺度の各分劃、分銅の各個につき補正を要する事や、温度による尺度の補正などの事も、少なくもそういうものがあるくらいは、中学校でも授けておきたいと思う。少なくも精密の度というものは比較的のものである事をよく理解させるが肝要であると思う。
また「大きさ一様なる棒」とか「平面」とか「球面
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