容をもったであろうというのと必ずしも本質的の差別はないように思われる。もちろん物理学の場合には自然という客観的存在が厳然として控えているから、たとえ研究の道筋に若干偶然的な変化があっても、最後の収穫は結局同じであるべきだという説が一般には信用されるであろう。そうして人類の歴史との比較は全然不当としてしりぞけられるが普通であろうと想像される。しかしこれははたしてそうであるかどうか、よくよく熟考してみなければならないように私には思われる。第一に客観実在と称するものが物理学体系と独立に存在しうるかどうかが疑問である。また、物理学の系統は実験上の新発見と新概念の構成とによって本質的の進歩を遂げるのであるが、その発見や構成の時間的関係は必ずしも必然的唯一のものが実際に存在したとは考えられない。たとえばハミルトンがもっと長生きをしたとか、アインシュタインが病気したとか、欧州戦争がなかったとか、そんなような事情のために、物理学の体系が現在とはいくらかでもちがった形をとることは可能ではないか、少なくもこういう疑問を起こしてみることは必ずしも無益のわざではないように思われる。
しかしそれほど根本的な問
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