行なわれるようになった。その結果としておもしろいことには、われわれが従来捨てて顧みなかった上記の種類の不決定な事がらに対して、もはやいつまでもそうそう無関心ではいられなくなって来たと私には思われる。なぜかというと、上記の種類の現象の根本に横たわる形式的要素が、新物理学の基礎に存するそれらとどこか共通なものを備えているからである。
原子の構造とその性能に関してわれわれは個々のエネルギー水準の考えを導入した。しかしてそれはある方程式の固有値と称するものと連関していると考える。これは最も簡単な類型的の一例とさるる弦の振動の場合ならばその節点の数を決定するものであり、要するに連続的なものの中でただ特定なものだけの実在を決定するものである。ところでたとえば鈴木清太郎《すずきせいたろう》博士の実験で、円板の中心を衝撃する際に生ずる輻射形《ふくしゃけい》の割れ目が衝動の強さに応じて整数的に増加して行く現象のごとき、おそらくある方程式の固有値によって定まるであろうということは、かつて妹沢《せざわ》博士も私に指摘されたことであるが、これは当面の解式を得るまでもなく予想し得られたことである。これから想像すると、おそらくその他の類似の問題でも、基礎形式的にこれと類するものがあるであろうと思われるのである。ただこれらの多くの場合はより多く事がらが複雑であって到底簡単な少数有限の方程式などで解決されるべきものではないであろうと予測される。
ハイゼンベルクのマトリッキスを一つのオーケストラにたとえた人があったが、たとえばガラスの割れ目のごときも、やはり一種のオーケストラが個々の場合に応じてそれぞれの曲を奏しているようなものであるかもしれない。原子の場合にわれわれは個々の原子の状態を確定する代わりに、ただその確率を知ると同様に、たとえば割れ目の場合でも精密な形を記載することはできなくても、その統計的特徴を把握《はあく》することができるであろうと想像するのは、必ずしも不倫ではあるまいと思われる。
これらは今のところはなはだしい空想であるかもしれないが、この空想には多少の物理的根拠があるとすれば、事がらがともかくも物理学的認識の根本観念に触れているだけに、少なくももっと深く追究してみる価値があるであろう。たとえその結果が消極的に終わるとしても、その考究の経路には少なからぬ獲物があるであろうと思
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