俊正《つついとしまさ》君の実験で液滴が板上に落ちて分裂する場合もこれに似ている事が知られた。葡萄酒《ぶどうしゅ》がコップをはい上がる現象にも類似の事がある。
 剃刀《かみそり》をとぐ砥石《といし》を平坦《へいたん》にするために合わせ砥石を載せてこすり合わせて後に引きはがすときれいな樹枝状の縞《しま》が現われる。平田森三《ひらたもりぞう》君が熱したガラス板をその一方の縁から徐々に垂直に水中へ沈めて行くとこれによく似た模様が現われると言っている。写真乾板の感光膜をガラスからはがすために特殊の薬液に浸すと膜が伸張して著しいしわができるのであるが、そのしわが場合によっては上記の樹枝状とかなりよく似た形を示すことがある。また写真乾板上の一点に高圧電極の先端を当てて暗処で見るとその先端から小さな火球が現われて徐々に膜上をはって行く。その痕跡《こんせき》が膜の焼けた線になって残るのであるが、その線の形状がやはり上記のものと似た形を示している。それからまたガラス窓などに水蒸気が凝結して露を結んでいるのが、だんだん露の生長するにつれてガラス面に沿うて落下し始める。その際に露の流れが次第に合流して樹枝状の模様を作る。この場合は前の多くの場合とは反対に枝の末端のほうから樹幹のほうへ事がらが進行するので、この点でも地上の斜面に発達する河流の樹枝状系統によく似ている。
 これらの現象を通じて言われることは、普通の古典的な理論的考察からすれば、およそ一様に均等に連続的にあるいは対称的に起こるであろうと考えらるるものが、実際には不均等に非対称的に不連続的にしかも統計的に起こるのである。このような場合を適当に処理すべき理論はもちろんのこと、その理論の構成に基礎となるべき概念すらもまだ全然発達していないのであるから、今のところでは物理学者はこれらをどうしてよいかわからない。従って問題にしようともしなければ、また見ても見ないつもりで目をつぶって通り過ぎるのが通例である。
 上記のごとき現象が純粋な自然探究者にとって決して興味がなくはないのであっても、それが現在の学問の既成体系の網に引っかからない限りは、それが一般学者から閑却されるのもまた自然の成りゆきであったと思われる。ところが、最近に至って物理学の理論の基礎に著しい革命の起こった結果として、物理現象の決定性といったような基礎観念にもまた若干の改革が
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