われる。しかしそれは別問題としても、上記のごとき特殊の部類に属する現象の実験的研究からいろいろな統計的の規則正しさを発見しうるには、いかなる方法をとるべきかという事が少なくも当面の問題の一つでありはしないかと思われる。そういう実験の結果を整理するためにわれわれは種々な新しい概念と方法の導入を必要とするであろう、そういうものがだんだんに発達し整理されて行く経路は、やがて新しい理論の形成となるであろう。新物理学の考え方がいろいろな点で古典的物理学の常識に融合しないように感ずるのは、畢竟《ひっきょう》古典的物理学がただ自然界の半面だけを特殊な視野の限定されためがねで見ていたために過ぎないのであって、そのやぶにらみの一例としては、私がここで特に声を大きくして宣伝したような部類の統計的現象を全然閑却していたことも引証されようかと思う。
物理学圏外の物理的現象と称すべきものは決して上記の部類に限らない。広大無辺の自然にはなお無限の問題が伏在しているのに、われわれの盲目なためにそれを問題として認め得ない結果、それが存在しないかのように枕《まくら》を高くしているのである。
多年|藤原《ふじわら》博士の心にかけて来られた渦巻《うずまき》に関する各種の現象でも、実にいろいろの不思議な問題が包蔵されているようであるが、現在までの物理学はまだそれらを問題として捕捉《ほそく》し解析の俎上《そじょう》に載せうるだけに進んでいないように見える。流体力学の専門家はその古色|蒼然《そうぜん》たる基礎方程式を通してのみしか流体を見ないから、いつまでたってもその方程式に含まれていない種類の現象に目の明く日は来ない。
また物理学者は電子や原子の問題の追究に忙しくて、到底日常眼前の現象を省みる暇《いとま》がないありさまであるから、渦巻の現象が吾人《ごじん》に啓示しつつある問題のほうにふり向く機会がありそうには思われない。しかしたとえば液体の渦の生成や分布や相互作用については、やはり前述の割れ目などと共通な「固有値」の問題の伏在することが想像され、あるいはまたマトリッキスの概念の導入可能性も考えられる。
またかつて藤原《ふじわら》博士が私に話されたように、古来の大家によって夢想されて来た熱力学第二法則のアンチテーゼのようなものも渦《うず》の観察から予想されなくはないのである。しかしそういうものが渦の現
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