におびえることによって不思議な神秘の感覚を味わい享楽したものであった。
 北の山奥から時々姿を現わして奇妙な物を売りありく老人がいた。少しびっこで恐ろしく背の高いやせこけた老翁であったが、破れ手ぬぐいで頬《ほお》かぶりをした下からうすぎたない白髪がはみ出していたようである。着物は完全な襤褸《ぼろ》でそれに荒繩《あらなわ》の帯を締めていたような気がする。大きい炭取りくらいの大きさの竹かごを棒切れの先に引っかけたのを肩にかついで、跛《びっこ》を引き歩きながら「丸葉柳《まるばやなぎ》は、山《やま》オコゼは」と、少し舌のもつれるような低音《バス》で尻下《しりさ》がりのアクセントで呼びありくのであった。舌がもつれるので「山オコゼは」が「ヤバオゴゼバ」とも聞こえるような気がした。とにかく、この山男の身辺にはなんとなく一種神秘の雰囲気《ふんいき》が揺曳《ようえい》しているように思われて、当時の悪太郎どもも容易には接近し得なかったようである。自分もこの老いさらぼえた山人に何とはなしに畏怖《いふ》の念をいだいていたが、しかしその「山オコゼ」というのがどんなものだか知りたいという強い好奇心を長い間もちつづ
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