近では繰り返し往復して、それでも買わないとあきらめて行ってしまったのは昔のことで、今ではやはり裏木戸から台所へはいって来て、主人や主婦を呼び出すのが多いようである。
「ええ鯉《こい》や鯉」というのも数年以来聞かないようである。「ええ竿竹《さおだけ》や竿竹」というのをひと月ほど前に聞いたのは珍しかった。
こういうふうに、旋律的な物売りの呼び声が次第になくなり、その呼び声の呼び起こす旧日本の夢幻的な情調もだんだんに消えうせて行くのは日本全国共通の現象らしい。
郷里で昔聞き慣れた物売りの声も今ではもう大概なくなったらしいが、考えてみるとずいぶんいろいろのものがあった。その中には子供の時分の親しい思い出に密接に結びついて忘られないものもかなり多数にある。
夏になると徳島《とくしま》からやって来た千金丹《せんきんたん》売りの呼び声もその一つである。渡り鳥のように四国の脊梁山脈《せきりょうさんみゃく》を越えて南海の町々村々をおとずれて来る一隊の青年行商人は、みんな白がすりの着物の尻《しり》を端折った脚絆草鞋《きゃはんわらじ》ばきのかいがいしい姿をしていた。明治初期を代表するような白シャツを着
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