れ込んでいる。それが下方に行って再び開いて裾《すそ》の線を作っている。
 浮世絵の線が最も複雑に乱れている所、また線の曲折の最もはげしい所は着物の裾である。この一事もやはり春信《はるのぶ》以前の名匠の絵で最もよく代表されるように思う。この裾の複雑さによって絵のすわりがよくなり安定な感じを与える事はもちろんである。
 裾の線は時に補景として描かれた幕のようなものや、樹枝や岩組みなどの線に反響している事があるが、そういうのはややもすれば画面を繊弱にする効果をもつものである。そういうわけで裾から上だけをかいた歌麿《うたまろ》の女などが、こせつかない上品な美しさを感じさせるのではあるまいか。写楽《しゃらく》のごとき敏感な線の音楽家が特に半身像を選んだのも偶然でないと思われる。
 写楽以外の古い人の絵では、人間の手はたとえば扇や煙管《きせる》などと同等な、ほんの些細《ささい》な付加物として取り扱われているように見える場合が多い。師宣《もろのぶ》や祐信《すけのぶ》などの絵に往々故意に手指を隠しているような構図のあるのを私は全く偶然とは思わない。清長《きよなが》などもこの点に対するかなり明白な自覚を
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