ればならないと思われる。はたしてそうだとすれば、これらの十五種の「古池や」の翻訳のうちで、もし傑作があったら、それは単なる偶然に過ぎないであろう。
一流の俳人で同時に一流の外国語学者でない限り、俳句の翻訳には手を下さないほうが安全であろう。
[#地付き](昭和八年十一月、渋柿)
三
故坂本|四方太《よもた》氏とは夏目先生の千駄木町《せんだぎちょう》の家で時々同席したことがあり、また当時の「文章会」でも始終顔を合わせてはいたが、一度もその寓居をたずねたことはなかった。それにもかかわらず自分は同氏の住み家やその居室を少なくとも一度は見たことがあるような錯覚を年来もちつづけて来た。そうしてそれがだんだんに固定し現実化してしまって今ではもう一つの体験の記憶とほとんど同格になってしまっている。どうしてそんなことになったかと考えてみるが、どうもよくはわからない。
夏目先生が何かの話のおりに四方太氏のことについて次のようなことを言ったという記憶がある。「四方太という人は実にきちんとした人である。子供もなく夫婦二人きり全くの水入らずでほんとうに小ぢんまりとした、そうして几帳面な生活
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