ほうが比率の上で多いということになりはしないか」というのである。これは完全な資料によって統計的に調べてみなければなんとも言われないことである。しかし、自分の知っているきわめて狭い範囲の資料から見ると、どうも、そういう傾向が見えるようである。ある歌人の話では、比較的少数なその一派で気の狂った人が五六人はあるという。ある俳人の一門では長年の間に一人二人自殺した人はあったが、それはその人たちが長く俳句から遠ざかった後のことであったという。
 要するにこれは全く自分の空想に過ぎないが、しかし自分の考えている歌と俳句との作者のその創作の瞬間における「自分」というものに対する態度の相違から考えると、そのような空想が万一事実として現われて来るとしても別に不思議はないような気がするのである。
 こう言ったからといって、歌を作る人が皆ああであって俳句をやる人がことごとくこうであるといったような意味ではもちろんない。ただ統計的のことを言っているのである。
 それからまた、もし以上の空想がいくぶん事実に近いということになったとしても、それは歌や俳句の力で人をどうするというわけではなくて、ただ歌をやる人と俳句
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