ナはないかと思われる。
 芭蕉がいかにしてここに到着したか。もちろん天稟《てんぴん》の素質もあったに相違ないが、また一方数奇の体験による試練の効によることは疑いもない事である。殿上に桐火桶《きりびおけ》を撫《ぶ》し簾《すだれ》を隔てて世俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の分水嶺《ぶんすいれい》に立った宗祇《そうぎ》がまた行脚《あんぎゃ》の人であったことも意味の深い事実である。芭蕉の行脚の掟《おきて》はそっくりそのままに人生行路の掟である。僧|心敬《しんぎょう》が「ただ数奇と道心と閑人との三のみ大切の好士なるべくや」と言ったというが、芭蕉の数奇をきわめた体験と誠をせめる忠実な求道心と物にすがらずして取り入れる余裕ある自由の心とはまさしくこの三つのものを具備した点で心敬の理想を如実に実現したものである。世情を究め物情に徹せずしていたずらに十七字をもてあそんでも芭蕉の域に達するのは困難であろう。発句はどうにかできても連句は到底できないであろう。
 芭蕉が「誹諧は万葉の心なり」と言ったという、真偽は別として、偽らざる心の誠という点でも、また数奇の体験から自然に生ま
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