黷ス詩であるという点でもまさにそのとおりである。しかしたしか太田水穂《おおたみずほ》氏も言われたように、万葉時代には物と我れとが分化し対立していなかった。この分化が起こった後に来る必然の結果は、他人の目で物を見る常套主義《じょうとうしゅぎ》の弊風である。その一つの現象としては古典の玩弄《がんろう》、言語の遊戯がある。芭蕉はもう一ぺん万葉の心に帰って赤裸で自然に対面し、恋をしかけた。そうして、自然と抱合し自然に没入した後に、再び自然を離れて静観し認識するだけの心の自由をもっていた。
 芭蕉去って後の俳諧は狭隘《きょうあい》な個性の反撥力《はんぱつりょく》によって四散した。洒落風《しゃれふう》[#「洒落風」は底本では「酒落風」]浮世風などというのさえできた。天明|蕪村《ぶそん》の時代に一度は燃え上がった余燼《よじん》も到底|元禄《げんろく》の光炎に比すべくはなかった。芭蕉の完璧《かんぺき》の半面だけが光ってすぐ消えた。天保より明治子規に至るいわゆる月並み宗匠流の俳諧は最も低級なる川柳よりもさらに常套的《じょうとうてき》であり無風雅であり不真実であり、俳諧の生命とする潜在的なるにおいや響きは
前へ 次へ
全36ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング