を楽しむ動物があるかと思うと、また一方ではある時期には群集を選ぶが他の時期、特に営巣生殖の時期には群れを離れて自分だけの領地《テリトリー》を占領割拠し、それを結婚の予備行為とした上で歌を歌って領域占領のプロパガンダを叫び、そうして花嫁を呼び迎える鳥類もある。
 エゴイストが自由を欲するのは、やはり自分の領域《テリトリー》を確保したいからである。そうしてそれは、少なくも学者や芸術家の場合では、やはり精神的の「巣」を営み、精神的の「子供」を生みたいという本能の命令によって自然にそうなるのではないかと思う。そうだとすれば学者や芸術家のわがままはやはり一種の自然現象であって、道徳的批判などを超越したものであるかもしれない。もしもそうだとしたら、このわがままもやはり進化論的の見地から重要な意義をもって来る。そうしてそれは人類の保存と人間社会の円滑な運転に必須《ひっす》な機巧の一部をなすものかもしれない。
 こういうふうに考えて来ると世事の交渉を回避する学者や、義理の拘束から逃走する芸術家を営巣繁殖期に入った鳥の類だと思って、いくぶんの寛恕《かんじょ》をもってこれに臨むということもできるかもしれな
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