鎖だけである。しかし外界は不定である。一夜寝て起きたときは、もうその室が自分を封じ込んだまま世界のいずこの果てまで行っているか、それを自分の能力で判断する手段は一つもないのである。
こんなことを考えてみてもやっぱり「心の窓」はいつでもできるだけ数をたくさんに、そうしてできるだけ広く明けておきたいものだと思う。
八
劇場などで座席を選ぶ場合に、一列の椅子《いす》のどちらか一方の端の席がいいという人がある。自分も実はその一人である。それは、出たい時にいつでも楽に出られるという便宜があるためである。しかしその便宜を実際に利用することはむしろまれで、多くの場合には、ただその自由の意識を享楽するだけである。
だれであったか忘れたが昔のギリシアの哲学者の一人は集会所のベンチの片端に席を占める癖があった。人がその理由を尋ねたら「せめて片側だけでも自由がほしい」と答えたそうである。昔も今もこうしたわがままなエゴイストの心理は同様だと見える。
しかし、一方ではまた、反対に両側に人がいないとさびしく物足りないという人もかなりあるようである。
群集を好む動物があり一方にはまた孤独
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