研前《りけんまえ》で止めてもらおうとしたが、後部入り口の車掌が切符切りに忙しくてなかなか信号ベルのひもを引いてくれない。やっと一度引くには引いたが、運転手は聞こえないと見えて停車しないでとうとう通り過ぎて行った。早く止めてくれと言っても車掌は「信号したけれども止めないです」と言って至極涼しい顔をしていた。これも誠にのんびりした話である。
 争議が解決した後も、いっその事思い切って従業員の制服を全廃して思い思いの背広服ないし和服着流しにする事を電気局に建言したらどうかと思ってみたのであった。

       十

 このごろ、熱帯魚を売る店先を通るときはたいていいつでも五分や十分は立ち止まって種々な種類の魚の動作を観察する癖がついた。種類による個性の差別がだんだんにわかって来るのがなかなかおもしろい。
 ラスボラ・ヘテロモルファという魚は、時には活発に運動しているが、また時によると二三十尾の群れが水槽《すいそう》の一部に集まったままじっとして動かないでいることがある。それが、どうもだいたい同じ方向を向いて静止していることが多いような気がする。もしそうだとすると何がこの魚をこうさせるかが問
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