と、咲いた花とを識別するのは、彼らにものの形状を弁別する能力のあるためだということが書いてあった。すなわち星形や十字形のものと、円形のものとを見分けることができるというのである。
 しかし甘納豆の場合にはこの物の形が蜂を誘うたとは思われない。何か嗅覚類似《きゅうかくるいじ》の感官にでもよるのか、それとも、偶然工場に舞い込んだ一匹が思いもかけぬ甘納豆の鉱山をなめ知っておおぜいの仲間に知らせたのか、自分には判断の手掛かりがない。
 それはとにかく、現代日本の新聞の社会面記事として、こういうのは珍しい科学的な特種《とくだね》である。たとえ半分がうそだとしてもいつもの型に入った人殺しや自殺の記事よりも比較のできないほど有益な知識の片影と貴重な暗示の衝動とを読者に与える。
 この蜜蜂《みつばち》の話は人間社会の経済問題にも実にいろいろな痛切な問題を投げるようである。それよりも今さし当たって自分はなんとなく北米や南米における日本移民排斥問題を思い出させられる。
 南半球の納豆屋さんには日本から飛んで来る蜜蜂が恐ろしいのである。

       二

 庭と中庭との隔ての四《よ》つ目《め》垣《がき》
前へ 次へ
全21ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング