る黄金色の猫の姿が、輝くような強い色彩で描かれている。その想像の絵が実際に目で見たであろうよりもはるかに強い現実さをもって記憶に残っている。
「三毛」はいろいろの点において「玉」とはまさに対蹠的《たいせきてき》の性質をもった雌猫であった。だれからもきれいとほめられる容貌《ようぼう》と毛皮をもって、敏捷《びんしょう》で典雅な挙止を示すと同時に、神経質な気むずかしさをもっていた。もちろん家族の皆からかわいがられ、あらゆる猫へのごちそうと言えばこの三毛のためにのみ設けられた。せっかく与える魚肉でも少し古ければ香をかいだままで口をつけない。そのお流れをみんな健啖《けんたん》な道化師の玉が頂戴《ちょうだい》するのであった。
満七年の間に三十匹ほどの子猫の母となった。最後の産のあとで目立って毛が脱けた。次第に食欲がなくなり元気がなくなった。医師に見てもらうとこれは胸に水を持ったので治療の方法がないとの事であった。この宣告は自分たちの心を暗くした。そのころはもう一日ほとんど動かずに行儀よくすわっていて、人が呼ぶとまぶしそうな目をしばたたいて呼ぶ人の顔を見た。そうしていつものように返事を鳴こうとするが声が出なかった。
最後の近くなったころ妻がそばへ行って呼ぶと、わずかにはい寄ろうとする努力を見せたが、もう首がぐらぐらしていた。次第に死の迫って来る事を知らせる息づかいは人間の場合に非常によく似ていた。
遺骸《いがい》は有り合わせのうちでいちばんきれいなチョコレートのあき箱を選んでそれに収め、庭の奥の楓《かえで》の陰に埋めて形ばかりの墓石をのせた。
玉が死んだ時は、自分が病気で弱っていたせいかなんとなく感傷的な心持ちがした。だれにもかわいがられずに生きて来てだれにも惜しまれずに死んで行くのがかわいそうであった。しかし三毛の死はみんなが惜しんでいるという自覚が自分の心の負担をいくぶん軽くするように思われるのであった。三毛の死後数日たって後のある朝、研究所を出て深川《ふかがわ》へ向かう途中の電車で、ふいと三毛の事を考えた。そして自然にこんな童謡のようなものが口ずさまれた。「三毛のお墓に花が散る。こんこんこごめの花が散る。芝にはかげろう鳥の影。小鳥の夢でも見ているか。」それからあとで同じようなものをもう三つ作って、それに勝手な譜をつけていいかげんの伴奏をもつけてみた。こんな子供らしい
前へ
次へ
全21ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング