間と少しも変わらないものになってしまっている。口もきけば物もいう。こちらの心もそのままによく通ずる。そうして死んだ人間の追憶には美しさの中にも何かしら多少の苦《にが》みを伴なわない事はまれであるのに、これらの家畜の思い出にはいささかも苦々《にがにが》しさのあと味がない。それはやはり彼らが生きている間に物を言わなかったためであろう。

     猫の死

「玉《たま》」は黄色に褐色《かっしょく》の虎斑《とらふ》をもった雄猫であった。粗野にして滑稽《こっけい》なる相貌《そうぼう》をもち、遅鈍にして大食であり、あらゆるデリカシーというものを完全に欠如した性格であった。従って家内じゅうのだれにも格別に愛せられなかった。小さい時分は一家じゅうの寵児《ちょうじ》である「三毛《みけ》」の遊戯の相手としての「道化師《クラウン》」として存在の意義を認められていたのが、三毛も玉も年を取って、もうそう活発な遊戯を演ずる事がなくなってからは、彼は全く用のない冗員として取り扱われていた。もちろんそれに不平らしい顔もなく、空々寂々として天命を楽しんでいるかのようにも思われた。
 ただ一つ困った事にはこの僧侶《そうりょ》のような玉にもやはり春の目さめる日はあった。さかり[#「さかり」に傍点]がつくと彼は所かまわず尿水を飛ばして襖《ふすま》や器具をよごした。あまりやっかいをかけるから家族のほうから玉を追放したいという動議が出た。そうしないでこの悪癖を直す方法はないかと思って獣医に相談すると、それは去勢さえすればよいとの事であった。いくら猫《ねこ》でもそれは残酷な事で不愉快であったが、追放の衆議の圧迫に負けてしまってとうとう入院させて手術を受けさせた。
 手術後目立っておとなしく上品にはなったが、なんとなく影の薄い存在となったようである。それからまもなくある日縁側で倒れて気息の絶え絶えになっているのを発見して水やまたたびを飲ませたら一時は回復した。しかしそれから二三日とたたないある朝、庭の青草の上に長く冷たくなっているのを子供が見つけて来て報告した。その日自分は感冒で発熱して寝ていたが、その死骸《しがい》をわざわざ見る気がしなかったから、ただそのままに裏の桃の木の根方に埋めさせた。目で見なかった代わりに、自分の想像のカンバスの上には、美しい青草の毛氈《もうせん》の上に安らかに長く手足を延ばして寝てい
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