備忘録
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)修善寺日記《しゅぜんじにっき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)菓子屋|駄菓子屋《だがしや》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)相※[#「門<兒」、146−13]《あいせめ》ぐような
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)チリギクチリギク/\
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仰臥漫録
何度読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろさのしみ出して来るものは夏目先生の「修善寺日記《しゅぜんじにっき》」と子規《しき》の「仰臥漫録《ぎょうがまんろく》」とである。いかなる戯曲や小説にも到底見いだされないおもしろみがある。なぜこれほどおもしろいのかよくわからないがただどちらもあらゆる創作の中で最も作為の跡の少ないものであって、こだわりのない叙述の奥に隠れた純真なものがあらゆる批判や估価《こか》を超越して直接に人を動かすのではないかと思う。そしてそれは死生の境に出入する大患と、なんらかの点において非凡な人間との偶然な結合によってのみ始めて生じうる文辞の宝玉であるからであろう。
岩波文庫の「仰臥漫録」を夏服のかくしに入れてある。電車の中でも時々読む。腰かけられない時は立ったままで読む。これを読んでいると暑さを忘れ距離を忘れる事ができる。
「朝 ヌク飯三ワン 佃煮《ツクダニ》 梅干《ウメボシ》 牛乳一合ココア入リ[#「ココア入リ」は本文より小さいサイズの文字] 菓子パン 塩センベイ……」こういう記事が毎日毎日繰り返される。それが少しもむだにもうるさくも感ぜられない。読んでいる自分はそのたびごとに一つ一つの新しき朝を体験し、ヌク飯のヌクミとその香を実感する。そして著者とともに貴重な残り少ない生の一日一日を迎えるのである。牛乳一合がココア入りであるか紅茶入りであるかが重大な問題である。それは政友会《せいゆうかい》が内閣をとるか憲政会《けんせいかい》が内閣をとるかよりははるかに重大な問題である。
昼飯に食った「サシミノ残リ」を晩飯に食ったという記事がしばしば繰り返されている。この残りの刺身《さしみ》の幾片かのイメージがこの詩人の午後の半日の精神生活の上に投
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