いが、そのような可能性はいくらも考え得られる。
おもしろい事には金米糖の角の数がほぼ一定している、その数を決定する因子が何であるか、これは一つのきわめて興味ある問題である。
従来の物理学ではこの金米糖の場合に問題となって来るような個体のフラクチュエーションの問題が多くは閑却されて来た。その異同がいつも自働的に打ち消されるような条件の備わった場合だけが主として取り扱われて来た。そうでない不安定の場合は、言わば見ても見ぬふりをして過ぎて来た。畢竟《ひっきょう》はそういうものをいかにして取り扱ってよいかという見当がつかなかったせいもあろうが、一つにはまた物理学がその「伝統の岩窟《がんくつ》」にはまり込んで安きを偸《ぬす》んでいたためとも言われうる。
物理学上における偶然異同の現象の研究は近年になっていくらか新しい進展の曙光《しょこう》を漏らし始めたように見えるが、今のところまだまだその研究の方法も幼稚で範囲もはなはだ狭い。
そういう意味から、金米糖の生成に関する物理学的研究は、その根本において、将来物理学全般にわたっての基礎問題として重要なるべきあるものに必然に本質的に連関して来るものと言ってもよい。
同じ意味で将来の研究問題と考えられる数々の現象の一つは、リヒテンベルクの放電図形である。これも従来はほとんど骨董的《こっとうてき》題目《だいもく》として閑却され、たまたまこれを研究する好事家《こうずか》は多くの学者の嘲笑《ちょうしょう》を買ったくらいである。ところが皮肉な事には最近に至ってこの現象が電気工学で高圧の測定に応用される可能性が認められるようになって、だんだんこの研究に従事する人の数を増すように見える。しかし今までのところまだだれもこの現象の成因について説明を試みた人はない。しかるにこの現象はその根本の性質上おのずから金米糖の生成とある点まで共通な因子をもっている。そしておそらく将来ある「一つの石によって落とさるべき二つの鳥」である。
生物学上の「生命」の問題に対しては、今のところ物理学はなんら容喙《ようかい》の権利をもたない。ロード・ケルヴィンは地球上の生命の種子が光圧によって星の世界から運ばれたという想像を述べた。しかしそれは生命そのものの起原に対しては枝葉の問題である。今のままの物理学ではおそらく永久に無力であろうが、もし物理学上の統計的異同の研
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