いにされる事を覚悟するだけの勇気が入用である。

     金米糖

 金米糖《こんぺいとう》という菓子は今日ではちょっと普通の菓子屋|駄菓子屋《だがしや》には見当たらない。聞いてみるとキャラメルやチョコレートにだんだん圧迫されて、今ではこれを製造するものがきわめてまれになったそうである。もっとも小粒で青黄赤などに着色して小さなガラスびんに入れて売っているのがあるが、あれは少し製法がちがうそうである。
 この金米糖のできあがる過程が実に不思議なものである。私の聞いたところでは、純良な砂糖に少量の水を加えて鍋《なべ》の中で溶かしてどろどろした液体とする。それに金米糖の心核となるべき芥子粒《けしつぶ》を入れて杓子《しゃくし》で攪拌《かくはん》し、しゃくい上げしゃくい上げしていると自然にああいう形にできあがるのだそうである。
 中に心核があってその周囲に砂糖が凝固してだんだんに生長する事にはたいした不思議はない。しかしなぜあのように角《つの》を出して生長するかが問題である。
 物理学では、すべての方向が均等な可能性をもっていると考えられる場合には、対称《シンメトリー》の考えからすべての方面に同一の数量を付与するを常とする。現在の場合に金米糖が生長する際、特にどの方向に多く生長しなければならぬという理由が考えられない[#「考えられない」に傍点]、それゆえに金米糖は完全な球状に生長すべきであると結論したとする。しかるに金米糖のほうでは、そういう論理などには頓着《とんちゃく》なく、にょきにょきと角を出して生長するのである。
 これはもちろん論理の誤謬《ごびゅう》ではない。誤った仮定から出発したために当然に生まれた誤った結論である。このパラドックスを解く鍵《かぎ》はどこにあるかというと、これは畢竟《ひっきょう》、統計的平均についてはじめて言われうるすべての方向の均等性という事を、具体的に個体にそのまま適用した事が第一の誤りであり、次には平均からの離背が一度でき始めるとそれがますます助長されるいわゆる不安定の場合のある事を忘れたのが第二の誤りである。
 平均の球形からの偶然な統計的異同 fluctuation が、一度少しでもできて、そうしてそのためにできた高い所が低い所よりも生長する割合が大きくなるという物理的条件さえあればよい。現在の場合にこの条件が何であるかはまだよくわからな
前へ 次へ
全21ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング