ナ、これは少し考え方を変えなければならないという事に気がついた。そう思わせるもう一つの根拠に、AB両国語で互いに同じような音をもっていながら意味のほうでは明白になんの関係もないという例が、またかなりに多い。最も滑稽《こっけい》な例をあげるとフィンランド語では鶴《つる》が haikara であり、狼《おおかみ》が susi である。いかにこじつけたくても、フィンランドの鳥獣と東京の高襟《ハイカラ》や、江戸前の鮨《すし》とを連結すべき論理の糸は見つからない。しかしそうなると同じフィン語の狐《きつね》が kettu であり、小船が vene であり、樺《かば》が koivu であっても、これらの類似の前二者の類似との間の本質的の差を説明すべきよりどころがわからなくなるのである。
 浜の真砂《まさご》の中から桜貝を拾う子供のような好奇心の追究を一時中止して、やや冷静に立ち帰って考えてみると、これはむしろなんでもない事のようである、統計数学上の込み入った理論を持ち出すほどでなくとも、簡単なプロバビリティの考えから、少なくも原理の上からは、説明のつく事である、というふうに考えられて来た。
 まず試
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