とえそれがみんなおとなしい紳士ばかりであっても、乗り込みに要する時間は人数と共に増す。もし下車する人を待たずに無理に押し入ろうとしたり、あるいは車掌と争ったりするようだとさらに停車時間は延長される。このようにして停留時間の延長した結果はどうであるか。
 これは、言うまでもなくこの乙電車が次の停留所に着すべき時間を遅らせる。従って次の停留所でその遅刻のためによけいに収容しなければならない前述の nb の数を増加させる。その結果はさらに循環的に、その次の停留所に着く時刻を遅らせる、and so on で、この乙電車の混雑はだんだんに増すばかりである。最も簡単な理想的の場合だと、停車回数に等しい[#「停車回数に等しい」に傍点]羃数《べきすう》で収容人数が増加するわけである。実際には車の容量に制限されるから、そう無制限には増さないだろうが、ともかくも、「込んだ車はますます込むような傾向をもつ」という結論にはたいした誤謬《ごびゅう》はないはずである。
 こののろわれた乙電車の次に来る丙電車はどうであるか、この丙電車が第一の停留所に来る時刻が規定の時間どおりであったとすると、前の乙電車がb時間遅れてくれたおかげで、平均よりは nb だけ少ない人数を収容すればよいことになる。もしこの丙電車が規定よりc時間遅れたとしても、乙が遅れなかった場合よりはやはり nb だけ過剰収容数が減るわけである。もし丙が規定よりcだけ早ければ、この電車は n(b+c) だけ少ない人数を収容しただけで発車ができる。この結果はどうなるか。これは明らかに乙丙電車の間隔を次第次第に減少し、従って乙の混雑と丙の空虚をますます著しくする事に帰着して行くのである。
 長い線路の上にはじめ等間隔に配列された電車が、運転につれて間隔に不同を生じる。そうして遅れるものと進むものとが統計上三または四の平均週期で現われるとすると、若干時の後に実現される運転状況は、私がこの編の初めに記述したとだいたい同じようになるわけである。すなわち三四台の週期で、著しい満員車が繰り返され、それに次ぐ二三台はこれに踵《くびす》を接して、だんだんに空席の多いものになる。そうして再び長い間隔を置いて、また同じ事が繰り返されるのである。
 以上は、事がらをできるだけ簡単に抽象して得られた理論上の結果である。実際上は、以上のほかになお合わせ考えるべき
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