るといってるのが自分にはよく分らない。これは多分自分がそういう社会に顔を出さなかったためかもしれない。東京へ帰ると英国人のように呑気な顔も少ないがドイツ式に緊張した顔も少ない。何と云って形容したらいいか分らないが、とにかく満員電車の上がり口につかまってぶら下がっているような一種の緊張が到る処に見出された。例えば飛行機に乗ってこれから蒼空へ飛び出そうというような種類の緊張はあまり見つからなかった。
 日本でも田舎へ行けば、東京とちがった顔が見られるかもしれない。これから旅行する機会があったらそのつもりで注意して見たいと思っている。尤も田舎には満員電車のない代りに完全な風呂がない。どうかすると風呂場が肥溜《こえだめ》と一つになっている。しかし田舎にはまた人工的の風呂の代りに美しい自然に囲まれた日光浴場がある。如何《いか》に鉄道が拡がっても製糸工場が増しても、まだまだそこらの山陰や川口にはこんな浴場はいくらも残っているだろう。

 こんな取り止めも付かぬ事を色々な人に話してみた。
 二、三の先輩は怒ったような顔をし、あるいは苦笑して何とも云わなかった。B君は黙って聞いてしまってから物価騰貴と
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