忙しい。このエネルギーの小部分を割《さ》いて電車の乗客の顔を柔らげる目的に使用する事は出来ないものだろうか。科学がキャピタリズムやミリタリズムやないしボルシェヴィズムの居候《いそうろう》になっているうちは、まあ当分見込がなさそうに思われる。
 満員電車にぶら下がっている人々の傍《そば》を自動車で通る人があるから世の中に社会主義などというものが出来るという人がある。一応|尤《もっと》もらしく聞える。何とかいう芝居で鋳掛屋《いかけや》の松という男が、両国橋の上から河上を流れる絃歌の声を聞いて翻然大悟しその場から盗賊に転業したという話があるくらいだから、昔から似よった考えはあったに相違ない。しかしまた昔はずいぶん人の栄華を見て奮発心を起して勉強した人も沢山あって、そういう事の方が多く讃美され奨励されていたようでもある。
 南向いている豚の尻を鞭《むち》でたたけば南へ駆け出し、北向いている野猪《やちょ》をひっぱたけば北へ向いて突進する。同じ鋳掛屋がもしも一風呂浴びてここを通りかかったのだったら、同じ絃歌の音は却《かえ》って彼の唱歌を誘い出したかもしれない。こう考えると日本のある種の過激思想の発
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