共設備の入口の暖簾《のれん》を潜って中へはいると、先ず番台からかけられる声からが既によほどゆるやかなものである。そして柔らかく温かに湿った湯気の中に動いている人の顔にも、鏡の前に裸で立ちはだかって頬を膨《ふく》らしてみたり腹を撫《な》でてみたりしている人の顔にも、湯槽《ゆぶね》の水面に浮んでいるデモクラチックな顔にも、美醜|老若《ろうにゃく》の別なく、一様に淡く寛舒《レラクセーション》の表情が浮んでいる。
この有難い設備と習慣とがなかったら東京市民の顔は今頃どんなものに変化しているだろう。
銭湯の湯船の中で見る顔には帝国主義もなければ社会主義もない。
もし東京市民が申し合せをして私宅の風呂をことごとく撤廃し、大臣でも職工でも皆同じ大浴場の湯気にうだるようにしたら、存外|六《むつ》ヶしい世の中の色々の大問題がヤスヤス解決される端緒にもなりはしまいか。こんな事を考えてみたこともある。
風呂場が人間に与える微妙な影響の中で面白いのは、多くの人が歌を唱いたくなる事である。英国の有名な物理学者が近頃ロンドンのローヤルインスチチューションでやった講演の中で「人は何故浴場で歌いたくなるか」と
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