生には満員電車も少なからず責任があるような気がする。不幸にして多くの文明の利器は時々南向いた豚さえも北へ向かせるように出来ているのが多い。いわんや北へ向いているのを駆け出させるような刺戟は到る処にころがっている。この刺戟を柔らげるには、どうも風呂が一番有効なように思われる。
こんな話を友人のA君に話したら、A君のいうのに、昔ローマを滅ぼしたのは風呂場である、あまり風呂場を鼓吹するのは危険ではないかと。しかしまた考えてみると昔ローマには満員電車というもののなかった事も確かである。
ドイツに居た時は、どういうものかいつも心持が緊張し過ぎて困った。交際した学生でも下宿の婆さんでも皆それぞれに緊張していた。他の国を旅行して帰りにドイツの国境を超えると同時に、この緊張がいつも著しく眼についた、すべてのものがカイゼルの髭《ひげ》のように緊張していた。英国へ渡るとなんだか急に呑気《のんき》になった、巡査を見ても牛乳屋を見ても誰を見ても一様に呑気な顔をしていた。あまり緊張が弛んだために眠くなって困った。米国へ渡ってもやはり人の顔が間延びがして呑気に見えた。前に引合に出した米国の学者が緊張し過ぎているといってるのが自分にはよく分らない。これは多分自分がそういう社会に顔を出さなかったためかもしれない。東京へ帰ると英国人のように呑気な顔も少ないがドイツ式に緊張した顔も少ない。何と云って形容したらいいか分らないが、とにかく満員電車の上がり口につかまってぶら下がっているような一種の緊張が到る処に見出された。例えば飛行機に乗ってこれから蒼空へ飛び出そうというような種類の緊張はあまり見つからなかった。
日本でも田舎へ行けば、東京とちがった顔が見られるかもしれない。これから旅行する機会があったらそのつもりで注意して見たいと思っている。尤も田舎には満員電車のない代りに完全な風呂がない。どうかすると風呂場が肥溜《こえだめ》と一つになっている。しかし田舎にはまた人工的の風呂の代りに美しい自然に囲まれた日光浴場がある。如何《いか》に鉄道が拡がっても製糸工場が増しても、まだまだそこらの山陰や川口にはこんな浴場はいくらも残っているだろう。
こんな取り止めも付かぬ事を色々な人に話してみた。
二、三の先輩は怒ったような顔をし、あるいは苦笑して何とも云わなかった。B君は黙って聞いてしまってから物価騰貴と月給の話をした。C君は日露戦争と欧洲大戦を引合に出して、緊張と寛舒《レラクセーション》の利害を論じた。D君は現在教育制度の欠陥を論じて、日本人は小学から大学までただ満員電車にぶら下がる術を教わるばかりだと云った。E君は、国民の哲学的宗教的背景が欠けている事を痛論した。
X君とZ君だけは自分の大浴場説に賛成した。しかし浴場に附属した礼拝堂と図書館と画廊と音楽堂と運動場の建築が必要であると云って、それで三人でこの仮想的浴場のプランを画《えが》いてみたりした。しかしその費用の出処《でどころ》については誰にも何の目あてもないので、おしまいにはとうとう三人で笑い出してしまった。[#地から1字上げ](大正九年五月『新小説』)
底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
1997(平成9)年6月5日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
1985(昭和60)年
初出:「新小説」
1920(大正9)年5月1日
※初出時の署名は「金平糖」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
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