たりしていると、どうしても性に合わぬ造船などよりも、物理のほかに自分のやる学問はないという気がして来た。それでとうとう田丸先生に相談を持ち掛けたところが、先生も、それなら物理をやったほうがよかろうと賛成の意を表してくださった。少なくも、そういうふうにその時の先生の話を了解したので、急に優勢な援兵を得たように勇気を増して、夏休みに帰省した時にとうとう父を説き伏せ、そうして三年生になると同時に理科に鞍《くら》がえをしたのである。それがために後日できそこないの汽船をこしらえて恥をかくであろうことの厄運《やくうん》を免れた代わりに、将来|下手《へた》な物理をこね回しては物笑いの種をまくべき運命がその時に確定してしまったわけである。しかし先生にその責任をもって行くわけでは毛頭ない。それどころか、造船をやらずに物理をやったことを後悔したことは三十余年の間に一度もなかったのである。
 自分が高等学校を出た後まもなく先生は京都大学、ついで東京大学に移られ、それから留学に出かけられた。帰朝後いよいよ東京へ落ち着かれたころは、西片町《にしかたまち》へんにしばらくおられて、それから曙町《あけぼのちょう》へ生
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