涯《しょうがい》の住居を定められた。自分はそのころ小石川原町《こいしかわはらまち》にいて曙町には近いものだから、時々ヴァイオリンをさげて行っては先生のピアノのお相手をした。そのヴァイオリンはもはや昔の九円のではなかったのである。先生はよくシューベルトの歌曲を歌って聞かせられたが、お得意のレペルトアルは、〔Sta:ndchen, Am Meer, Im Dorfe, Doppelga:nger, Erlko:nig, Leiermann, Lindenbaum etc.〕 であった。それから Reissiger の Zwei Grenadier とか Die Uhr などもよく歌われたものである。いつかのニュートン祭にやはりこの「エルケーニヒ」か何か歌われたことがあると思うが、そういうときでも先生は、「要するに、やるという事がハウプトザッヘだから……」と言って、決して巧拙のできばえなどは問題にされなかった。
 酒も煙草《たばこ》も甘いものもいっさいの官能的享楽を顧みなかった先生は、謡曲でも西洋音楽でも決してそれがただの享楽のためではなくて、やることが善《よ》いことだからやるのだというよう
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