に見えた。休日に近郊などへ散歩に出かけられるのでも、やはり同様な見地からであったように自分には思われる。
 下手《へた》な論文を書いて見ていただくと、実に綿密に英語の訂正はもちろん、内容の枝葉の点に至るまで徹底的に修正されるのであった。一度鉛筆で直したのを、あとで、インキでちゃんと書き入れて、そうして最後に消しゴムですっかり鉛筆を消し取って、そのちりを払うことまで先生がやられるので、こっちではかえってすっかり恐縮してしまって、「私やりますから」と言っても、平気ですみからすみまで手を入れ、おしまいまで自身の手できれいにやってしまわないと気がすまないというふうであった。そういう時にいつも言われた「とにかく、ちゃんとしておかなくちゃ」という先生の言葉は、いろいろの場合にいつもよく聞かされ耳の奥にしみ込んで忘れられないものである。いかなる事がらでも「ちゃんとして」おかなければ決して済まされなかった。残らずさし合わせた釘《くぎ》一本のわずかなゆるみでも決して見のがし捨ててはおかれなかったのである。
 先生のノートや原稿を見るときれいな細字で紙面のすみからすみまでぎっしり詰まっていて、「余白」とい
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