うものがほとんどなかったようである。
しかし先生は、「むだ」や「余白」だらけのだらしのない弟子《でし》たちに対して、真の慈父のような寛容をもって臨み、そうしてどこまでも懇切にめんどうを見てやるのに少しも骨身を惜しまれなかったように見える。自分がだらしがなくて、人には正確を要求する十人並みの人間のすることとは全く反対であったのである。
先生が、もう少しだらしのない凡人であってくれたら、そうしたらおそらくもう少し長生きをされて、そうしてもう少し長く後進のためにもめんどうを見てくださることができ、また先生としてももう少しのどかな生涯《しょうがい》を送られたではないかという気がすることもある。しかしそれは結局だらしのない人間の言うことで、先生は先生としての最も意義ある最も充実した生涯を完成されたのであろう。
こうして書き出してみると、先生の思い出はあとからあとから数限りもなく出て来るのであるが、この機会にはやはりこれくらいにして筆をおいたほうが適当であろうと思う。
記憶違いのために事実相違の点もいろいろあるかもしれない。それについては読者の寛容を願いたいと思う。
先生がかりに再生され
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