いる。それはたとえば東京の日比谷公園《ひびやこうえん》にある日を期して市民を集合させる。そして田舎《いなか》で不用になっている虫送りの鐘太鼓を借り集めて来てだれでもにそれをたたかせる。社会に対し、政府に対し、同胞に対しまた家族に対してあらゆる種類の不平不満をいだいている人は、この原始的楽器を原始的の努力をもってたたきつけるのである。
もう少し社会が進歩すると私のこの案を笑う人がなくなるかもしれないような気がする。
六
郷里からあまり遠くないA村に木《き》の丸神社《まろじんじゃ》というのがある。これは斉明天皇《さいめいてんのう》を祭ったものだと言われている。天皇が崩御《ほうぎょ》になった九州のある地方の名がすなわちこの村の名になっている。どういうわけでこの南海の片すみの土地がこの天皇と結びつけられるようになったのか私は知らない。たしかな事はおそらくだれにもわかるまい。それにもかかわらずこういう口碑は人の心を三韓征伐《さんかんせいばつ》の昔に誘う。そして現代の事相に古い民俗的の背景を与える。
この神社の祭礼の儀式が珍しいものであった。子供の時分に一二度見ただけだから
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