ものである。できなければそれは目が弱いからであろう。一年や二年で見飽きるようなものであったら、自然に関する芸術や科学は数千年前に完結してしまっているはずである。
 六つになる親類の子供が去年の暮れから東京へ来ている。これに東京と国とどっちがいいかと聞いてみたら、おくにのほうがいいと言った。どうしてかと聞くと「お国の川にはえび[#「えび」に傍点]がいるから」と答えた。
 この子供のえび[#「えび」に傍点]と言ったのは必ずしも動物学上のえび[#「えび」に傍点]の事ではない。えび[#「えび」に傍点]のいる清洌《せいれつ》な小川の流れ、それに緑の影をひたす森や山、河畔に咲き乱れる草の花、そういうようなもの全体を引っくるめた田舎《いなか》の自然を象徴するえび[#「えび」に傍点]でなければならない。東京でさかな屋から川えびを買って来てこの子供にやってみればこの事は容易に証明されるだろう。
 私自身もこのえび[#「えび」に傍点]の事を考えると、田舎が恋しくなる。しかしそれは現在の田舎ではなくて、過去の思い出の中にある田舎である。えび[#「えび」に傍点]は今でもいるが「子供の私」はもうそこにはいないか
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