方法で行なわれる。
それだから一見閑静な田舎に住まっていては、とても一生懸命な自分の仕事に没頭しているわけにはいかない。それには都会の「人間の砂漠《さばく》」の中がいちばん都合がいい。田舎では草も木も石も人間くさい呼吸をして四方から私に話しかけ私に取りすがるが、都会ではぎっしり詰まった満員電車の乗客でも川原《かわら》の石ころどうしのように黙ってめいめいが自分の事を考えている。そのおかげで私は電車の中で難解の書物をゆっくり落ち付いて読みふける事ができる。宅《うち》にいれば子供や老人という代表的|田舎者《いなかもの》がいるので困るが、電車の中ばかりは全く閑静である。このような静かさは到底田舎では得られない静かさである。静か過ぎてあまりにさびしいくらいである。
これで都会に入り込んでいる「田舎の人」がいなければどんなに静かな事であろう。
二
今ではどうだか知らないが、私の国では村の豪家などで男子が生まれると、その次の正月は村じゅうの若い者が寄って、四畳敷き六畳敷きの大きな凧《たこ》をこしらえてその家にかつぎ込む。そしてそれに紅白、あるいは紺と白と継ぎ分けた紙の尾を幾条もつけて、西北の季節風に飛揚させる。刈り株ばかりの冬田の中を紅もめんやうこん[#「うこん」に傍点]もめんで頬《ほお》かぶりをした若い衆が酒の勢いで縦横に駆け回るのはなかなか威勢がいい、近辺のスパルタ人種の子供らはめいめいに小さな凧《たこ》を揚げてそれを大凧の尾にからみつかせ、その断片を掠奪《りゃくだつ》しようと争うのである。大凧が充分に風をはらんで揚がる時は若者の二人や三人は引きずられるくらいの強い牽引力《けんいんりょく》をもっている。
凧揚げのあとは酒宴である。それはほんとうにバッカスの酒宴で、酒は泉とあふれ、肉は林とうずたかく、その間をパンの群れがニンフの群れを追い回すのである。
豪家に生まれた子供が女であったために、ひどく失望した若い者らは、大きな羽子板へ凧のように糸目をつけてかつぎ込んだなどという話さえある。
子供の初節句、結婚の披露《ひろう》、還暦の祝い、そういう機会はすべて村のバッカスにささげられる。そうしなければその土地には住んでいられないのである。
そういう家に不幸のあった時には村じゅうの人が寄り集まって万端の世話をする。世話人があまりおおぜいであるために事務は
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