動かない」春風の句を作るのは容易でないのであつて、例へばいゝ加減な句集の中で春風を秋風で置換へても大した差しつかへのないやうなものを物色すれば一頁に二三はすぐに見付かる位である。併し「秋風や白木の弓に弦はらん」(去來)や、「日の入や秋風遠く鳴つて來る」(漱石)や、「あかあかと日はつれなくも秋の風」といつたやうなのでは、どうにも春風の代へ玉では間に合はなくなるのである。
 此のやうに、季題そのものを描寫した句が少なくて他の景物を配合したものゝ多いといふことは必しも天文の季題に限らないことであつて、例へば任意の句集を繙いて櫻とか雁とかの題下に並んだ澤山の句を點檢してもすぐに分かることである。此の事實は併し俳句といふものゝ根本義から考へて寧ろ當然なことと云はなければならない。
 芭蕉が説いたと云はるゝ不易流行の原理は實はあらゆる藝術に通ずるものであらうと思はれる。此れに就ては他日別項で詳説するつもりであるから茲では略するが、要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。其れが爲めには一見偶然的な他物との配合を要する、しかも其配合物は偶然なやう
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