であつても、其配合によつて其處に或必然な決定的の眞の相貌を描出しなければならないのである。芭蕉が「發句は物をとり合すれば出來る物也。夫をよく取合するを上手といひ、あしきを下手といふなり」と云つたといふ。此れは俳句が所謂モンタージュの藝術であることを明示する。併し何でも取合はせればいゝのではない。單にいゝかげんに「物二つ三つとりあつめ[#「とりあつめ」に傍点]て作るものにあらず、こがねを打のべたるやうにありたし」である。
かういふ標準に照らして見るときに澤山な句集の中で佳句と稱すべきものゝ少ない事は怪しむに足りないわけであらう。
俳句の一般的な理論的考察は他日に讓るとして、茲では與へられた「天文と俳句」の題目の下に若干の作例を取上げて、前述の如き自己流の見地から少しばかり評釋を試み度いと思ふ。例句は何等の系統も順序もなく唯手近な句集を開いて眼に觸るゝままに取上げたのに過ぎないのである。
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あか/\と日はつれなくも秋の風 芭蕉
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といふ句がある。秋も稍更けて北西の季節風が次第に卓越して來ると本州中部は常に高氣壓に蔽はれて空氣は次第に
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