然の異常現象を恐れるものである。この事が彼らの不断の注意を自然の観察にふり向け、自然の命令に従順に服従することによってその厳罰を免れその恩恵を享有するように努力させる。
 反対の例を取ってみるほうがよくわかる。私の知人の実業家で年じゅう忙しい人がある。この人にある時私は眼前の若葉の美しさについての話をしたら、その人は、なるほど今は若葉時かと言ってはじめて気がついたように庭上を見渡した。忙しい忙しいで時候が今どんなだかそんなことを考えたりする余裕はないということであった。こういう人ばかりであったら農業は成立しない。
 津々浦々に海の幸《さち》をすなどる漁民や港から港を追う水夫船頭らもまた季節ことに日々の天候に対して敏感な観察者であり予報者でもある。彼らの中の古老は気象学者のまだ知らない空の色、風の息、雲のたたずまい、波のうねりの機微なる兆候に対して尖鋭《せんえい》な直観的|洞察力《どうさつりょく》をもっている。長い間の命がけの勉強で得た超科学的の科学知識によるのである。それによって彼らは海の恩恵を受けつつ海の禍《わざわい》を避けることを学んでいるであろう。それで、生活に追われる漁民自身は
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