とを喜ばないような日本現時の不思議な学風がそういう研究の出現を阻止しているのではないかと疑われる。
 余談ではあるが、先日|田舎《いなか》で農夫の着ている簔《みの》を見て、その機構の巧妙と性能の優秀なことに今さらに感心した。これも元はシナあたりから伝来したものかもしれないが、日本の風土に適合したために土着したものであろう。空気の流通がよくてしかも雨やあらしの侵入を防ぐという点では、バーベリーのレーンコートよりもずっとすぐれているのではないかという気がする。あれも天然の設計に成る鳥獣の羽毛の機構を学んで得たインジェニュイティーであろうと想像される。それが今日ではほとんど博物館的存在になってしまった。
 日本の家屋が木造を主として発達した第一の理由はもちろん至るところに繁茂した良材の得やすいためであろう、そうして頻繁《ひんぱん》な地震や台風の襲来に耐えるために平家造りか、せいぜい二階建てが限度となったものであろう。五重の塔のごときは特例であるが、あれの建築に示された古人の工学的才能は現代学者の驚嘆するところである。
 床下の通風をよくして土台の腐朽を防ぐのは温湿の気候に絶対必要で、これを無視して造った文化住宅は数年で根太《ねだ》が腐るのに、田舎《いなか》の旧家には百年の家が平気で立っている。ひさしと縁側を設けて日射と雨雪を遠ざけたりしているのでも日本の気候に適応した巧妙な設計である。西洋人は東洋暖地へ来てやっとバンガローのベランダ造りを思いついたようである。
 障子というものがまた存外巧妙な発明である。光線に対しては乳色ガラスのランプシェードのように光を弱めずに拡散する効果があり、風に対してもその力を弱めてしかも適宜な空気の流通を調節する効果をもっている。
 日本の家は南洋風で夏向きにできているから日本人は南洋から来たのだという説を立てた西洋人がいた。原始的にはあるいは南洋に系統を引いていないとも限らないであろうが、しかしたとえそうであっても現時の日本家屋は日本の気候に適合するように進化し、また日本の各地方でそれぞれの気候的特徴に応じて多少ずつは分化した発達をも遂げて来ている。屋根の勾配《こうばい》やひさしの深さなどでも南国と北国とではいくらかそれぞれに固有な特徴が見られるように思われる。
 近来は鉄筋コンクリートの住宅も次第にふえるようである。これは地震や台風や火事に
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