なわれない自然のままで摂取するほうがいちばん快適有効であることを知っているのである。
 中央アジアの旅行中シナの大官からごちそうになったある西洋人の紀行中の記事に、数十種を算する献立のどれもこれもみんな一様な黴《かび》のにおいで統括されていた、といったようなことを書いている。
 もう一つ日本人の常食に現われた特性と思われるのは、食物の季節性という点に関してであろう。俳諧歳時記《はいかいさいじき》を繰ってみてもわかるように季節に応ずる食用の野菜魚貝の年週期的循環がそれだけでも日本人の日常生活を多彩にしている。年じゅう同じように貯蔵した馬鈴薯《ばれいしょ》や玉ねぎをかじり、干物塩物や、季節にかまわず豚や牛ばかり食っている西洋人やシナ人、あるいはほとんど年じゅう同じような果実を食っている熱帯の住民と、「はしり」を喜び「しゅん」を貴《たっと》ぶ日本人とはこうした点でもかなりちがった日常生活の内容をもっている。このちがいは決してそれだけでは済まない種類のちがいである。
 衣服についてもいろいろなことが考えられる。菜食が発達したとほぼ同様な理由から植物性の麻布綿布が主要な資料になり、毛皮や毛織りが輸入品になった。綿布麻布が日本の気候に適していることもやはり事実であろうと思われる。養蚕が輸入されそれがちょうどよく風土に適したために、後には絹布が輸出品になったのである。
 衣服の様式は少なからずシナの影響を受けながらもやはり固有の気候風土とそれに準ずる生活様式に支配されて固有の発達と分化を遂げて来た。近代では洋服が普及されたが、固有な和服が跡を絶つ日はちょっと考えられない。たとえば冬湿夏乾の西欧に発達した洋服が、反対に冬乾夏湿の日本の気候においても和服に比べて、その生理的効果がすぐれているかどうかは科学的研究を経た上でなければにわかに決定することができない。しかし、日本へ来ている西洋人が夏は好んで浴衣《ゆかた》を着たり、ワイシャツ一つで軽井沢《かるいざわ》の町を歩いたりすることだけを考えても、和服が決して不合理なものばかりでないということの証拠がほかにもいろいろ捜せば見つかりそうに思われる。しかしおかしい事には日本の学者でまだ日本服の気候学的物理的生理的の意義を充分詳細に研究し尽くした人のあることを聞かないようである。これは私の寡聞のせいばかりではないらしい。そういう事を研究するこ
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