対しては申しぶんのない抵抗力をもっているのであるが、しかし一つ困ることはあの厚い壁が熱の伝導をおそくするためにだいたいにおいて夏の初半は屋内の湿度が高く冬の半分は乾燥がはげしいという結果になる。西欧諸国のように夏が乾期で冬が湿期に相当する地方だとちょうどいいわけであるが、日本はちょうど反対で夏はたださえ多い湿気が室内に入り込んで冷却し相対湿度を高めたがっているのであるから、屋内の壁の冷え方がひどければひどいほど飽和がひどくなってコンクリート壁は一種の蒸留器の役目をつとめるようなことになりやすい。冬はまさにその反対に屋内の湿気は外へ根こそぎ絞り取られる勘定である。
日本では、土壁の外側に羽目板を張ったくらいが防寒防暑と湿度調節とを両立させるという点から見てもほぼ適度な妥協点をねらったものではないかという気がする。
台湾《たいわん》のある地方では鉄筋コンクリート造りの鉄筋がすっかり腐蝕《ふしょく》して始末に困っているという話である。内地でもいつかはこの種の建築物の保存期限が切れるであろうが、そうした時の始末が取り越し苦労の種にはなりうるであろう。コンクリート造りといえども長い将来の間にまだ幾多の風土的な試練を経た上で、はじめてこの国土に根をおろすことになるであろう。試験はこれからである。
住居に付属した庭園がまた日本に特有なものであって日本人の自然観の特徴を説明するに格好な事例としてしばしば引き合いに出るものである。西洋人は自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭を造って喜んでいるのが多いのに、日本人はなるべく山水の自然をそこなうことなしに住居のそばに誘致し自分はその自然の中にいだかれ、その自然と同化した気持ちになることを楽しみとするのである。
シナの庭園も本来は自然にかたどったものではあろうが、むやみに奇岩怪石を積み並べた貝細工の化け物のようなシナふうの庭は、多くの純日本趣味の日本人の目には自然に対する変態心理者の暴行としか見えないであろう。
盆栽生け花のごときも、また日本人にとっては庭園の延長でありまたある意味で圧縮でもある。箱庭は言葉どおりに庭園のミニアチュアである。床の間に山水花鳥の掛け物をかけるのもまたそのバリアチオンと考えられなくもない。西洋でも花瓶《かびん》に花卉《かき》を盛りバルコンにゼラニウムを並べ食堂に常緑樹を置くが、しかし、それは主とし
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