二十四年前
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)西片町《にしかたまち》に小さな家を借りて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一度|駿河台《するがだい》の家へ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](大正十二年八月、思想)
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 ちょうど今から二十四年前の夏休みに、ただ一度ケーベルさんに会って話をした記憶がある。ほんとうに夢のような記憶である。
 それは私が大学の一年から二年に移るときの夏休みであった。その年の春から私は西片町《にしかたまち》に小さな家を借りてそこに自分の家庭というものを作った。それでいつもはきまって帰省する暑中休暇をその年はじめてどこへも行かずにずっと東京で暮らす事になった。長い休暇の所在なさを紛らす一つの仕事として私はヴァイオリンのひとり稽古《げいこ》をやっていた。その以前から持ってはいたが下宿住まいではとかく都合のよくないためにほとんど手に触れずにしまい込んであったのを取り出して鳴らしていたのである。もっともだれに教わるのでもなく全くの独習で、ただ教則本のようなも
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