のを相手にして、ともかくも音を出すまねをしていたに過ぎなかった。適当な教師があれば教わりたかったが、そういう方面に少しの縁故ももたなかったし、またあったにしてもめったな人からは教わりたくもなかった。それでやっぱりいろんな書物にかいてあるひき方を読んでは、ひとりでくふうしながら稽古《けいこ》していた。いつまでもろくな音は出なかったが、それでもそうする事自身に人知れぬ興味はあった。
適当な楽譜を得るためにはじめには銀座《ぎんざ》へんの大きな楽器店へ捜しに行ったが、そういう商店はなんとなくお役所のように気位が高いというのか横風《おうふう》だというのか、ともかくも自分には気が引けるようで不愉快であったから、おしまいには横浜《よこはま》のドーリングとかいう商会へ手紙で聞き合わしたり注文したりする事にしていた。これは全くの余談であるが、少なくもそのころ、私は音楽が好きであるにかかわらず、音楽に関係している人々からはよい印象を受けなかった。音楽家からも楽器屋の店員からも、また音楽好きの学生からも一つとしてよい印象を受けなかった。
そのころ音楽会と言えば、音楽学校の卒業式の演奏会が唯一の呼び物にな
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