であった。
次の室《へや》の棚《たな》の上にオルゴールのような楽器が置いてあった。それを鳴らして聞かしてくれたりした。
その時の話の結果として、ケーベルさんは私のためにある音楽家に紹介状を書いてくれた。それは結局断わられて無効になってしまった。そうして私はとうとう二十年後の今日まで、ほんとうの楽器の扱い方を知らずに過ごして来た。
しかし私がケーベルさんを尋ねた第一の動機は、今になってみると、ヴァイオリンの問題よりはやはりむしろケーベルさんに会う事であったらしく思われる。考えてみると恥ずかしい事である。その時に私は二十三歳であった。ケーベルさんもまだそう老人というほどでもなかった。
それきりで私は二度と会って話をした事はない。ただその後に一度|駿河台《するがだい》の家へ何かの演奏会の切符をもらいに行った事がある。その時は今の深田《ふかだ》博士が玄関へ出て来て切符を渡してくれた事を覚えている。これも恥ずかしい事である。その家の門の表札にはラファエル・フォン・コウィベルとしてあった。
全く夢のようである。
言葉がもう少し自由であったなら、そして自分がもし文科の学生ででもあったら、
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